FLACファイルでの音楽管理に挑戦
MAD動画を作ろうと思い立ったが、普段管理しているMP3だと音の切り貼りで劣化が進みそうだったので、この機会に、可逆圧縮のFLACという形式での管理に移行してみようと思う。
MP3と比べると、FLACはそこまで一般的な形式ではないようだが(WMPは非対応)、オープンソースということで、イノベーティブなサービスでは対応しているところが多い。
(普段使っているGoogle Play Musicも対応していた)
まずCDからリッピングするソフトについては、MusicBeeというソフトを使ってみることにした。
簡単な音楽管理もできるようだが、見た目があまりカッコよく無い。ただ、視聴はGoogle Play Musicでするので良しとしよう。
(ちなみに、見た目のカッコ良さで選んだMicrosoftのZuneは、更新も無く、どうやらXboxの何かのソフトに統合されるようだ)
FLACからのリッピングに戻ろう。
FLACには、CUEシートというメタ情報を扱うことができて、複数の曲が入っているCDを1つのファイルとして扱うことができるそうだ。もちろん、1曲ずつバラバラに取り込むこともできる。
以下、取り込んだ結果。バラバラに取り込んだ場合と、まとめた場合を比較してみる。
---------------------------
■使ったCD:4曲入り
▼容量
・バラバラ:99.6MB
・まとめて:99.4MB
・(参考)MP3:24.1MB - 173Kbps(なぜかMusicBeeでこの設定)
▼音源編集
⇒Audacityを使って音源を切り貼りしようとしているのだが、一つのファイルにまとめてリッピングした場合、4曲が連続で結合された形の一つのファイルとして読み込まれた。
▼Google Play Musicへのアップ
⇒GPMでも、まとめたflacファイルは一つのファイルとして認識された。
また、flac形式でアップしたものの、GMPからDLしてきた時にはMP3/320kbpsに劣化していた。
恐らく、アップしたタイミングで圧縮をかけているのだと思われる。
▼メタタグの編集
⇒flacファイルはMP3Tagで編集することが可能。
MP3Tagでは、Amazonの情報を引っ張ってくるようにカスタマイズできるのだが、ここでもまとめたflacファイルは一つのファイルとして認識されてしまった。
---------------------------
扱いやすさで言えば、一つのファイルにまとめた方が何かと良かったのだが、Google Playでの再生が分割してできないという致命的な問題が発生したので、今後は分割ファイルでのリッピングで進めようと思う。
MP3と比べると、FLACはそこまで一般的な形式ではないようだが(WMPは非対応)、オープンソースということで、イノベーティブなサービスでは対応しているところが多い。
(普段使っているGoogle Play Musicも対応していた)
まずCDからリッピングするソフトについては、MusicBeeというソフトを使ってみることにした。
簡単な音楽管理もできるようだが、見た目があまりカッコよく無い。ただ、視聴はGoogle Play Musicでするので良しとしよう。
(ちなみに、見た目のカッコ良さで選んだMicrosoftのZuneは、更新も無く、どうやらXboxの何かのソフトに統合されるようだ)
FLACからのリッピングに戻ろう。
FLACには、CUEシートというメタ情報を扱うことができて、複数の曲が入っているCDを1つのファイルとして扱うことができるそうだ。もちろん、1曲ずつバラバラに取り込むこともできる。
以下、取り込んだ結果。バラバラに取り込んだ場合と、まとめた場合を比較してみる。
---------------------------
■使ったCD:4曲入り
▼容量
・バラバラ:99.6MB
・まとめて:99.4MB
・(参考)MP3:24.1MB - 173Kbps(なぜかMusicBeeでこの設定)
▼音源編集
⇒Audacityを使って音源を切り貼りしようとしているのだが、一つのファイルにまとめてリッピングした場合、4曲が連続で結合された形の一つのファイルとして読み込まれた。
▼Google Play Musicへのアップ
⇒GPMでも、まとめたflacファイルは一つのファイルとして認識された。
また、flac形式でアップしたものの、GMPからDLしてきた時にはMP3/320kbpsに劣化していた。
恐らく、アップしたタイミングで圧縮をかけているのだと思われる。
▼メタタグの編集
⇒flacファイルはMP3Tagで編集することが可能。
MP3Tagでは、Amazonの情報を引っ張ってくるようにカスタマイズできるのだが、ここでもまとめたflacファイルは一つのファイルとして認識されてしまった。
---------------------------
扱いやすさで言えば、一つのファイルにまとめた方が何かと良かったのだが、Google Playでの再生が分割してできないという致命的な問題が発生したので、今後は分割ファイルでのリッピングで進めようと思う。
スポンサーサイト
平日の深夜に思うこと
それは大概において、くだらない人生が立てる投げやりな物音。
光は振らないし闇は這い寄らない。
日常の薄明かりとぬるま湯が、瞳と舌と指先を濡らしてくれる。
悲しいのだろう。それはもう十分に解った。
だから眠るのだろう。それも十分だ。
残された隙間に吸い寄せられるように、また静かに足音を殺して、
あなたの傷を舐めさせて欲しい。
悪くは、ない。と、思う。た、とん。
毎晩優しく瞼を撫でに来るヒプノセスの腕の中で、
遠い碧い海を眺める。
昼は風が吹き、夜は星が降ろう。
何も決まらないよ。そこでは何も決まらない。
* * *
友人の結婚式があった。結婚式から出るのは二度目だ(一度目は寝過ごして披露宴からだったけれど)。一度目も二度目も、心から幸せを願った。きっと願う必要すらないほどに彼・彼女は幸せなのだし、彼・彼女は自分たちで幸せ足りえるのだと思う。それでも光はより目映く輝いてできれば、照らされていたいと思う。
とても単純なことだが、二度の結婚式で思い出したのは、某タンクトップの言葉。
曰く、「現在(いま)というのは、過去からのpresentである」
確かにそうだろう。まずは何より自分が変わらなければ、未来が拓けるはずもない。
変わりたくないわけでは、ないよ。ずっとそれは、5年前から変わってない。
二度目の結婚式で、引き出物の中に手紙が入っていた。
それは式に参列した一人一人に、新婦が宛てた手紙だった。
贔屓目に見ても、ものすごく親しかった訳ではない。何かの幸運で出席することができただけだと思う。それでも新婦の手紙には、きちんと僕に向けられた言葉が並べられていた。
差がついたという言い方は正しく無いだろう。それでも、彼女と僕では、他人に幸せを感じさせる力においてものすごく差がついてしまった。
それは前の結婚式の時もそうだし、それ以外でも、何気ない手土産や、気遣いの言葉の積層によってそれは単なる薄っぺらなポーズを超えて、その人人の誠実さを形成する。
人に優しく。自分に優しく。
他人に優しくした記憶なんてちょっとやそっとじゃ思い出せない。
優しくするには、自尊心が邪魔だ。
だからと言って自尊心が無くなったら保てない。
要するに、ただ単純に相手を想えということだ。
* * *
朝起きて読み返して、ここまで厨二臭い日記が書けるなら、まだ大丈夫と思った。ぐうの音も出なくなるのがまずいですよ。
光は振らないし闇は這い寄らない。
日常の薄明かりとぬるま湯が、瞳と舌と指先を濡らしてくれる。
悲しいのだろう。それはもう十分に解った。
だから眠るのだろう。それも十分だ。
残された隙間に吸い寄せられるように、また静かに足音を殺して、
あなたの傷を舐めさせて欲しい。
悪くは、ない。と、思う。た、とん。
毎晩優しく瞼を撫でに来るヒプノセスの腕の中で、
遠い碧い海を眺める。
昼は風が吹き、夜は星が降ろう。
何も決まらないよ。そこでは何も決まらない。
* * *
友人の結婚式があった。結婚式から出るのは二度目だ(一度目は寝過ごして披露宴からだったけれど)。一度目も二度目も、心から幸せを願った。きっと願う必要すらないほどに彼・彼女は幸せなのだし、彼・彼女は自分たちで幸せ足りえるのだと思う。それでも光はより目映く輝いてできれば、照らされていたいと思う。
とても単純なことだが、二度の結婚式で思い出したのは、某タンクトップの言葉。
曰く、「現在(いま)というのは、過去からのpresentである」
確かにそうだろう。まずは何より自分が変わらなければ、未来が拓けるはずもない。
変わりたくないわけでは、ないよ。ずっとそれは、5年前から変わってない。
二度目の結婚式で、引き出物の中に手紙が入っていた。
それは式に参列した一人一人に、新婦が宛てた手紙だった。
贔屓目に見ても、ものすごく親しかった訳ではない。何かの幸運で出席することができただけだと思う。それでも新婦の手紙には、きちんと僕に向けられた言葉が並べられていた。
差がついたという言い方は正しく無いだろう。それでも、彼女と僕では、他人に幸せを感じさせる力においてものすごく差がついてしまった。
それは前の結婚式の時もそうだし、それ以外でも、何気ない手土産や、気遣いの言葉の積層によってそれは単なる薄っぺらなポーズを超えて、その人人の誠実さを形成する。
人に優しく。自分に優しく。
他人に優しくした記憶なんてちょっとやそっとじゃ思い出せない。
優しくするには、自尊心が邪魔だ。
だからと言って自尊心が無くなったら保てない。
要するに、ただ単純に相手を想えということだ。
* * *
朝起きて読み返して、ここまで厨二臭い日記が書けるなら、まだ大丈夫と思った。ぐうの音も出なくなるのがまずいですよ。
比較芸術学(仮)
いつか必ずまとめようと思っていることがある。それを何と名付けようかもまだ決まっていないのだけど、少なくとも5~6年前には、その視点で自分の考えをまとめてみたいと思っていた。
ここでは仮に『比較芸術学』と呼ぶことにする。これは、数ある芸術-表現手法-を体系的に分類することを目的とした一つの論考だ。なぜ自分がこのようなことに執心しているか、明快な答えは無いのだけれど、偽善的に答えれば学生時代に専攻していたのは生物の分類学であるし、偽悪的に答えれば届かない芸術家への憧憬ということになる。
この『比較芸術学』の骨子は非常に簡単である。数ある表現手法は、以下の根源的な3つの要素に分類される、というものだ。
①空間的要素
②時間的要素
③意味的要素
例えば、一枚の絵画は、その表現領域を(主に)二次元空間に展開した空間的芸術である。同様に、原始的な音楽は、一定時間の中に展開された時間的芸術である。③の意味的要素というのは、言語などの累積される「意味」を連ねて作る芸術で、詩や文学が当てはまる。これら3つの要素には積集合もあって、①と③が重なると漫画になり、そこへ②が加わると映画になる。
以上が『比較芸術学』の基本的な考え方だ。同じような視点はどこかの学者が、もっと綿密な分析の元に構築していると思う。けれど、これは時間がかかっても自分で完成させたいと思っている。
さて、この論考の目的は、基本教義のもとに様々な表現手法を分類し、その過程でこの比較芸術学に論理的整合性を持たせることである。まずは世の中の様々な手法を題材に考えていこうと思う。
■Case1-文学の可変性と不変性-
繰り返しになるが、文学は意味的要素によって成り立つ表現手法である。確かに、紙という空間上に展開されてはいるが、それが音声で表現されたとしても、その芸術の持つ「意味」は不変だろう。また、時間をかけないと読むことが出来無いものだけれども、速読を習得した人間とそうでない人間では芸術を消化する時間が異なる。時間の消費に依存しない手法であるということだ。
そんな文学の性質は、「情報」に置き換えることができる。情報は、その発現する場所に依存せず、常に一定である。1+1がある前提条件の下では必ず2になるように、芸術という極めて物理的な領域において、特異な存在であると考えている。その意味で、文学は不変である。
ただし、明確に定義付けられた数学と異なり、文学には定義が存在しない。例えば外語翻訳。確かに、翻訳されたとしても、プロットは変わらない。けれど、その文学性は大きく変化してしまう。最も判りやすい例で言えば、その言語特有の言葉遊びやジョークなどは、どう翻訳しても100%を伝えることはできないだろう。日本語の「拙者」も、海外では訳す言葉が無いように。では、翻訳が必ずしも原著より劣るかと言うとそうでもない。有名な話で、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したように、翻訳する側の文化で以って作品全体に漂う空気感を翻訳することは可能だ。しかし、その領域まで来ると、その翻訳作業は一つの偉大な芸術作業と言える。
また別の例では、朗読が挙げられる。これも、原理は作品に書かれた文字を読み上げるだけで、情報は不変だ。けれどたとえ原著を読んだとしても、音声に変えれば抑揚が入る、感情が入る、そして声質も重要だろう。最近では朗読を題材にした漫画が注目を浴びるなど、その芸術性が見直されている。そうなると、朗読はもはや意味的要素だけでなく、時間的要素を持った別の芸術であるとも言える。
このように、文学は原理的には不変のはずが、実際のアウトプット段階で様々なものにバイアスを受ける。それこそ、フォントや書籍の紙質も重要だろう。この文学の可変性は、どうしてもそれを受け取る人間が、芸術の消費に空間と時間を必要とする、という物理的な限界が存在するからとも言える。そう考えると、真の意味的要素だけで構成された文学と言うのはイデア的存在で、表象として現れる時にはその影だけになっているのかも知れない。
話はかなり飛躍するが、こと物語と呼ばれるものは、大昔の神話の焼き直しとも言われる。それこそミステリーやSFの類は神話には描かれなかったかも知れないが、そこで展開される人間の起承転結は、いつの時代も大きく変わらない。……さすがにこれは話を広げすぎた。
もう少しレイヤーを落とした分類として、純文学、ミステリー、SF、官能小説など、各種文芸の構成要素を見ていくのも面白いと思う。どれも意味的要素の連なりではあるが、ミステリーはパズル要素、SFは世界観構築要素、官能はリビドー訴求要素と、それぞれが重きを置く要素は異なる。それについては不勉強なのでまたの機会に。
ここでは仮に『比較芸術学』と呼ぶことにする。これは、数ある芸術-表現手法-を体系的に分類することを目的とした一つの論考だ。なぜ自分がこのようなことに執心しているか、明快な答えは無いのだけれど、偽善的に答えれば学生時代に専攻していたのは生物の分類学であるし、偽悪的に答えれば届かない芸術家への憧憬ということになる。
この『比較芸術学』の骨子は非常に簡単である。数ある表現手法は、以下の根源的な3つの要素に分類される、というものだ。
①空間的要素
②時間的要素
③意味的要素
例えば、一枚の絵画は、その表現領域を(主に)二次元空間に展開した空間的芸術である。同様に、原始的な音楽は、一定時間の中に展開された時間的芸術である。③の意味的要素というのは、言語などの累積される「意味」を連ねて作る芸術で、詩や文学が当てはまる。これら3つの要素には積集合もあって、①と③が重なると漫画になり、そこへ②が加わると映画になる。
以上が『比較芸術学』の基本的な考え方だ。同じような視点はどこかの学者が、もっと綿密な分析の元に構築していると思う。けれど、これは時間がかかっても自分で完成させたいと思っている。
さて、この論考の目的は、基本教義のもとに様々な表現手法を分類し、その過程でこの比較芸術学に論理的整合性を持たせることである。まずは世の中の様々な手法を題材に考えていこうと思う。
■Case1-文学の可変性と不変性-
繰り返しになるが、文学は意味的要素によって成り立つ表現手法である。確かに、紙という空間上に展開されてはいるが、それが音声で表現されたとしても、その芸術の持つ「意味」は不変だろう。また、時間をかけないと読むことが出来無いものだけれども、速読を習得した人間とそうでない人間では芸術を消化する時間が異なる。時間の消費に依存しない手法であるということだ。
そんな文学の性質は、「情報」に置き換えることができる。情報は、その発現する場所に依存せず、常に一定である。1+1がある前提条件の下では必ず2になるように、芸術という極めて物理的な領域において、特異な存在であると考えている。その意味で、文学は不変である。
ただし、明確に定義付けられた数学と異なり、文学には定義が存在しない。例えば外語翻訳。確かに、翻訳されたとしても、プロットは変わらない。けれど、その文学性は大きく変化してしまう。最も判りやすい例で言えば、その言語特有の言葉遊びやジョークなどは、どう翻訳しても100%を伝えることはできないだろう。日本語の「拙者」も、海外では訳す言葉が無いように。では、翻訳が必ずしも原著より劣るかと言うとそうでもない。有名な話で、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したように、翻訳する側の文化で以って作品全体に漂う空気感を翻訳することは可能だ。しかし、その領域まで来ると、その翻訳作業は一つの偉大な芸術作業と言える。
また別の例では、朗読が挙げられる。これも、原理は作品に書かれた文字を読み上げるだけで、情報は不変だ。けれどたとえ原著を読んだとしても、音声に変えれば抑揚が入る、感情が入る、そして声質も重要だろう。最近では朗読を題材にした漫画が注目を浴びるなど、その芸術性が見直されている。そうなると、朗読はもはや意味的要素だけでなく、時間的要素を持った別の芸術であるとも言える。
このように、文学は原理的には不変のはずが、実際のアウトプット段階で様々なものにバイアスを受ける。それこそ、フォントや書籍の紙質も重要だろう。この文学の可変性は、どうしてもそれを受け取る人間が、芸術の消費に空間と時間を必要とする、という物理的な限界が存在するからとも言える。そう考えると、真の意味的要素だけで構成された文学と言うのはイデア的存在で、表象として現れる時にはその影だけになっているのかも知れない。
話はかなり飛躍するが、こと物語と呼ばれるものは、大昔の神話の焼き直しとも言われる。それこそミステリーやSFの類は神話には描かれなかったかも知れないが、そこで展開される人間の起承転結は、いつの時代も大きく変わらない。……さすがにこれは話を広げすぎた。
もう少しレイヤーを落とした分類として、純文学、ミステリー、SF、官能小説など、各種文芸の構成要素を見ていくのも面白いと思う。どれも意味的要素の連なりではあるが、ミステリーはパズル要素、SFは世界観構築要素、官能はリビドー訴求要素と、それぞれが重きを置く要素は異なる。それについては不勉強なのでまたの機会に。
おはなし
マンガ喫茶で徹夜した後、朦朧としながらお布団に倒れこんだら珍しい夢を見たので記録しておく。うろ覚えなので、人に見せられるものではないけど備忘録として。
---------------------------
世界が終わる。
絶対的な何かが、戯れに世界を終わらそうと攻撃をした。
それに対抗するのは7人のヒーローで、
セーラームーンに似ている。
破滅者は時間を超えて、超未来、超時空から地球へ向けて発射された砲台だ。その弾丸が飛行するシューティングゲームの敵のようなものになり、次々と地球を襲う。
最初に選ばれたヒーローとその友人。未来から来たという人間に、ヒーローになれと言われる。
古代、現代、未来にそれぞれ散らばったヒーローを集める
次々に襲い来る敵、徐々に消耗する人類。
荒廃した世界で、死なないヒーロー達はずっと戦い続ける。
そんな中、ヒーローの一人(セーラーマーキュリー)が、破滅者のところへ行ける時空転送装置を完成させる。6人が装置に入り、1人が残った。時空転送は、行ったら帰って来れない。それでも、破滅者の破壊ができなければ、もう人類は限界だった。
残った1人は戦い続ける。仲間を信じて。しかし、今まで見たことも無い敵が現れて死ぬ。人類の滅亡が決まる。一足遅く、時空の超越の中で肉体を昇華して精神体となった6人は、破滅者と融合することでその動きを停止させる。
数万年後、滅亡したかたに思われた人類は繁栄していた。ヒーローたちの戦いは吟遊詩人に語り継がれた。
おわり。
---------------------------
【出展】
・セーラームーン(主人公)
・クロノトリガー(時空関連)
・最近2chまとめではやったドラクエのSS(死なないところ)
・惑星のさみだれ(全体のストーリー)
・最終兵器彼女(ザコ敵)
セカイ系って何歳になっても楽しい。
神は人になんという想像力をお与えになったのか。
未来を想像するという行為ほど、人間が一つの生物種でしかないことを忘れ去れてくれることはない。
しかし僕はマーキュリーよりジュピター派なのである。正確に言うとまこ×あみ派なのである。セーラームーンは改めて偉大だ。最後まで読んだこと無いから、今度マンガ喫茶に行った時は読んでみよう。
---------------------------
世界が終わる。
絶対的な何かが、戯れに世界を終わらそうと攻撃をした。
それに対抗するのは7人のヒーローで、
セーラームーンに似ている。
破滅者は時間を超えて、超未来、超時空から地球へ向けて発射された砲台だ。その弾丸が飛行するシューティングゲームの敵のようなものになり、次々と地球を襲う。
最初に選ばれたヒーローとその友人。未来から来たという人間に、ヒーローになれと言われる。
古代、現代、未来にそれぞれ散らばったヒーローを集める
次々に襲い来る敵、徐々に消耗する人類。
荒廃した世界で、死なないヒーロー達はずっと戦い続ける。
そんな中、ヒーローの一人(セーラーマーキュリー)が、破滅者のところへ行ける時空転送装置を完成させる。6人が装置に入り、1人が残った。時空転送は、行ったら帰って来れない。それでも、破滅者の破壊ができなければ、もう人類は限界だった。
残った1人は戦い続ける。仲間を信じて。しかし、今まで見たことも無い敵が現れて死ぬ。人類の滅亡が決まる。一足遅く、時空の超越の中で肉体を昇華して精神体となった6人は、破滅者と融合することでその動きを停止させる。
数万年後、滅亡したかたに思われた人類は繁栄していた。ヒーローたちの戦いは吟遊詩人に語り継がれた。
おわり。
---------------------------
【出展】
・セーラームーン(主人公)
・クロノトリガー(時空関連)
・最近2chまとめではやったドラクエのSS(死なないところ)
・惑星のさみだれ(全体のストーリー)
・最終兵器彼女(ザコ敵)
セカイ系って何歳になっても楽しい。
神は人になんという想像力をお与えになったのか。
未来を想像するという行為ほど、人間が一つの生物種でしかないことを忘れ去れてくれることはない。
しかし僕はマーキュリーよりジュピター派なのである。正確に言うとまこ×あみ派なのである。セーラームーンは改めて偉大だ。最後まで読んだこと無いから、今度マンガ喫茶に行った時は読んでみよう。
Webサービスのアカウント
久しぶりにブログを書く。
スマートフォンにべったりだった時は、TwitterやTumblrに入り浸っていたけど、ガラケーメインに戻してからは、なんとなくどこにも居付かなくなってしまった。と、言いつつGREEのソーシャルゲームにややハマりしている。
ここ数年でWeb上でのアカウント=人格をたくさん持つようになった。それぞれの公開範囲がやや収集付かなくなってきたので、とりあえず書き出してみる。うろ覚えだけど始めた順番に。
・FC2ホームページ
・mixi
・FC2ブログ×2
・はてなアンテナ
・ニコニコ動画
・Google関連×2
・NAVERまとめ
・Twitter×2
・pixiv
・はてなブックマーク
・Evernote
・Tumblr
・Facebook
GREEとmobageは仕事で取ったアカウントなので入れないでおく。
さてさて、これを公開範囲で分けてみる。
【実名で公開】
・Facebook
【知人に公開】
・mixi
・Twitter
・FC2ブログ
・FC2ホームページ
・Tumblr
【一般公開】
・はてなブックマーク
・はてなアンテナ
・FC2ブログ
・Google関連×2
【ROM専】
・ニコニコ動画
・pixiv
・NAVERまとめ
【非公開】
・Twitter
・Evernote
それぞれIDとPassがあやふやになってきたので統一したいんだけど、なかなかそうもいかない。一番困るのは、転職活動の時にFacebook以外のアカウントがバレることだ。
最初にTwitterを作る時に実名で登録したから、未だに検索すると一番上に出てくる。
Googleに削除依頼は出したけど、きちんと処理されるかは不明だ。
それぞれのアカウントの用途や名称を整理して使いたいという気持ちもあるんだけど、アウトプットスペースとして最も適切なものが何なのか、まだ分からない。
Twitterができてからは、ブログは結論が無いと書けなくなってしまった。それでもたまにこうして特に無目的に書いてみるのもいいもんだと思う。ただ、内容としては短いうんこか長いうんこかの違いなので、Tiwtterとブログの用途は同じだ。
ツールとして使い方が確率してるのは、はてブ(WEBメモ)、Tumblr(画像メモ)、Evernote(テキストメモ)だ。機能的には全部Evernoteに寄せることもできるけど、Evernoteは一覧性がいまいちだと思う。
アウトプットスペースとしては、やっぱり少し大人になって来たので、もう少しきちんとしたものをアウトプットできるようにしたいので、HTML5/CSS3/JQueryを使ったサイトをFC2ホームページに作ろうと思う。ただなあ、コンテンツが無いんだよなあ。
コンテンツ問題と言えば、対人コミュニケーション。本当に人と話すことがなくって辛い。
毎週月曜日に部署の朝礼があって、そこで土日のアクティビティについて発表しなくちゃいけない場があるんだけど、ほんと毎週何もなくってビックリする。
建設的な毎日。原因を探ると、どうも部屋にあるんじゃないか。あの部屋はやる気をスポイルする部屋だ!だから引っ越す!うむ。
光が足りないのだよ。
スマートフォンにべったりだった時は、TwitterやTumblrに入り浸っていたけど、ガラケーメインに戻してからは、なんとなくどこにも居付かなくなってしまった。と、言いつつGREEのソーシャルゲームにややハマりしている。
ここ数年でWeb上でのアカウント=人格をたくさん持つようになった。それぞれの公開範囲がやや収集付かなくなってきたので、とりあえず書き出してみる。うろ覚えだけど始めた順番に。
・FC2ホームページ
・mixi
・FC2ブログ×2
・はてなアンテナ
・ニコニコ動画
・Google関連×2
・NAVERまとめ
・Twitter×2
・pixiv
・はてなブックマーク
・Evernote
・Tumblr
GREEとmobageは仕事で取ったアカウントなので入れないでおく。
さてさて、これを公開範囲で分けてみる。
【実名で公開】
【知人に公開】
・mixi
・FC2ブログ
・FC2ホームページ
・Tumblr
【一般公開】
・はてなブックマーク
・はてなアンテナ
・FC2ブログ
・Google関連×2
【ROM専】
・ニコニコ動画
・pixiv
・NAVERまとめ
【非公開】
・Evernote
それぞれIDとPassがあやふやになってきたので統一したいんだけど、なかなかそうもいかない。一番困るのは、転職活動の時にFacebook以外のアカウントがバレることだ。
最初にTwitterを作る時に実名で登録したから、未だに検索すると一番上に出てくる。
Googleに削除依頼は出したけど、きちんと処理されるかは不明だ。
それぞれのアカウントの用途や名称を整理して使いたいという気持ちもあるんだけど、アウトプットスペースとして最も適切なものが何なのか、まだ分からない。
Twitterができてからは、ブログは結論が無いと書けなくなってしまった。それでもたまにこうして特に無目的に書いてみるのもいいもんだと思う。ただ、内容としては短いうんこか長いうんこかの違いなので、Tiwtterとブログの用途は同じだ。
ツールとして使い方が確率してるのは、はてブ(WEBメモ)、Tumblr(画像メモ)、Evernote(テキストメモ)だ。機能的には全部Evernoteに寄せることもできるけど、Evernoteは一覧性がいまいちだと思う。
アウトプットスペースとしては、やっぱり少し大人になって来たので、もう少しきちんとしたものをアウトプットできるようにしたいので、HTML5/CSS3/JQueryを使ったサイトをFC2ホームページに作ろうと思う。ただなあ、コンテンツが無いんだよなあ。
コンテンツ問題と言えば、対人コミュニケーション。本当に人と話すことがなくって辛い。
毎週月曜日に部署の朝礼があって、そこで土日のアクティビティについて発表しなくちゃいけない場があるんだけど、ほんと毎週何もなくってビックリする。
建設的な毎日。原因を探ると、どうも部屋にあるんじゃないか。あの部屋はやる気をスポイルする部屋だ!だから引っ越す!うむ。
光が足りないのだよ。