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名前 

趣味で海外サッカー(ヨーロッパ)を見ていると、選手の名前で色々と面白い発見がある。

例えばデンマークの選手はファミリーネームの最後に「~セン」がつく(ヨルゲンセン、ラウルセン)。同様にスウェーデンでは「~ション」がつく。

オランダの選手は「ファン(van)」というミドルネーム(?)をしばしば持っていて、これは英語の「of」と同じ用法で、"マルコ・ファン・バステン"だと、「バステンさんちのマルコ君」という意味になるらしい。
近縁のドイツ語では「フォン(von)」になるんだけど、現代の選手にはあんまりいない。元が地域の領主を表すためのミドルネームらしいので、今は少なくなっているのかも。

日本人の場合、名前のバリエーション>苗字のバリエーション だけど、ヨーロッパでは逆だ。
マルコ、ファビオ、フランチェスコ、アレッサンドロ、クリスティアーノ、などなど。一つの名前につき、2~3人は有名サッカー選手が思い浮かぶ。というのは、欧米ではキリスト教の聖人から名前を借りることが多いかららしい。

向こうはファーストネームで呼び合うことの方が多いのに、こんなにかぶってると紛らわしいと思う。逆に日本は命名法が自由すぎるぞ。妹の幼稚園時代の名簿見てびびった。


本題なんだが、聖人と言えばやっぱり最高位は天使だってんで、大天使・聖☆ミカエル様の名前の選手は多い。Michaelは、違う言語間の呼び方・文法の変化で"マイケル、ミハエル、ミヒャエル、ミシェル"等々変化していることを思えば、けっこうな数がいることになる。

で、大天使と言えば僕らゲーム&マンガ脳は迅速かつ最短距離で地水火風の四大天使と結びつけてしまう。
よく視聴しているイタリアではラファエル(Raphael)の変化形でラファエレもよく見かけるし(ラファエロも同じかな?)、ガブリエル(Gabriel)・バティストゥータはレジェンドだし、男子サッカーでは見ないけど"ガブリエッラ"っていう女性名は一般的だ。

しかし残りの天使、ウリエルの名前はいまだかつて見たことがない。ゲーム界では往々にして"地"の属性を与えられ、小さい頃、地属性が好きだった自分としてはちょっぴり悲しい。(ちなみに今は水属性が好きで、風が好きなやつは中二病だね!という子供心をいまだに引きずっている。)

なので調べてみたら、ウリエルはキリスト教によって(後から)堕天させられたんだね。堕天使の名前はつけられんのか。日本じゃリュシフェルなんていうバンドが流行ったこともあったが。
でも、『わたしは人間達の中で暮らすため地上におり、ヤコブという名で呼ばれる』(Wikipediaより)と言っていたらしいので、ヤコブという名前で細々とウリエル信仰は続いているのかも知れない。


やっぱ地属性はいいよ。FFのミドガルズオルムとかクエイクとか痺れる。キャラだと、大体ガチムチの肉弾系キャラクターで(武器は斧・槌・大剣で)、豪快な性格でみんなのお父さん的存在なのに、ラスボスの圧倒的魔力の前に手も足も出ずに死亡→残りの火水風キャラ本気出す(しかも今までフラフラしていて地キャラに怒られることの多かった風キャラが潜在能力覚醒とかってこれだから風厨は……)とかいう流れで地属性は恵まれない。

がんばれ地キャラ。

お引越し

いい加減スパムが酷いのでお引越しを考え中。せっかくなので一からブログデザインをしたい。
当分先にはなるけれど、どこのブログサービスがいいかと探すと、ウェブリログというところが軽くてカスタマイズフルでいいらしい(おすすめ無料ブログ比較 ウェブリブログ)。
けれどあまりに公式テンプレがダサいので、カスタマイズがめんどくさそうだ。ニンジャがいいかも。

このきなんのき

机とかを動かしとるときに言う、「こっち側き」の「き」は方言なんやろうか。使う機会も少ないけん、意識しとらんかったわい。

魂の洗濯に柔軟剤は要るか

「みんな温泉温泉って、そんな温泉が好きか」と友人が言っていたが、みんな温泉が好きなんじゃなくて小旅行=現実逃避が好きなんだと思う。現実逃避っていうと言い方が悪いけど、日常にストレスを抱えてる人ほど、「パーっとどこかへ行きたい欲」というのを強く持つわけです。

で、冬の小旅行っつったら問答無用で温泉。冬の飲み会が問答無用で鍋になるのとイコールな。
だって観光もレジャーも寒くってやってらんないわけですよ。じゃあスキーはどうなのってなるけど、あれは寒いのがデフォなのと、スキーで青春を駆け抜けた世代が執拗に「スキーはいいぞ!」と言いながら作りすぎたスキー関連施設にいざなってくるからだと思う。

あと上で言った、「日常にストレスを抱えてる」ってのは「仕事・学業が厳しい」というのとはイコールではなく、自分のようなプーでも上司の粗暴な言動や加齢臭にストレスを感じているように、早い話がニートでも親の足音にストレスを感じているように、自分と環境の相互関係にしか依存しない。

あとはまあ、ノリかな。「同じ阿呆なら踊らにゃソン論理」で、無理にテンション上げていかなきゃいかない。この論理は、「好きなものだけ」の学生時代からプチ社会人になって、自由な時間がなくなってみて初めて強く感じた点だなあ。

そるかのせるか

久しぶりに掃除をしたら、フローリングに落ちている髪の量が尋常じゃない。明らかに生え替わりのサイクルを逸脱している。キャスリンの言っていたことは本当かも知れない。

ママ(笑)

asahi.com:「お宅は何階の部屋?」 ママカースト制の終わらぬ地獄
朝日だから誇張の可能性も多分にあると思うけど、それでも怖すぎ。スイーツが可愛く思えるほどの陰湿さだ。

前出のケイコさんは子どもの「育てやすさカースト」を実感した。ミルク育児派ママの子どもはベビーカーに5時間も寝かせたままでもぐずらない。母乳ママが授乳に抱っこに慌ただしい中、ワンピース姿で優雅にお茶をすすっている。一流ホテルのラウンジに行く話になったが、母乳ママは誘われなかった。

ちなみにランチ会の平均予算は5000~1万円。主人に悪いと渋った主婦と、銀座の高級レストランにリュックを背負って現れたワーキングマザーは、次から誘われなくなった。

専業主婦にはなりたくないなあ。

やっぱり娘より息子か……

高校生の娘が彼氏を連れてきたんだが:ハムスター速報 2ろぐ
>>243で泣いた
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先週はサークルの卒業コンサートを聞きにTKBに行ってきたよ。
開場までに時間があったからQ'tをウロウロしてたんだが、ちらほらと店が入れ替わっているのを見て、実店舗でも厳しいんだなと思った。
ネットの通販の方が長続きしない印象があったけど、ネットだと開店休業状態で春を待つという選択肢もある分、細々と生き残るのは簡単かも。

古着屋のお姉さんに「夜のお仕事の方ですか?」って聞かれた。
おまえファーだけ見て喋ったろ。


サークルの運営があんまりうまくいっていないという話を聞いていたので、どんなもんかと思ったら普通にきちんとしていた。心配になるのは老婆心というやつですかねえ。

それより、1年生に挨拶してこっちが名乗ったのに向こうが名乗らず愛想笑いというのが気になった。まあ今考えてみると、こっちは懐かしさでハイテンションなんだけど、向こうからしたら僕はただの闖入者で、「一回しか会わない人」なんだよなあ。
あと、名乗り合うっていう行為は割と対等な立場じゃないと成立しないかのかも。教授とか有名人に対して名乗るのは恐れ多い。


コンサートはとても安らぎました。やっぱりあの空間はホームだと思った。
こんなところであれだけど、ありがとうございます&卒業おめでとう。


その後はKUMAとフィンラガンで飲む。5人で集まるのは、実は一年ぶりくらい。A→本格的に腐女子化 U→夜のボーイスカウト化 M→モモヒキ化 自分→スイーツ化で、まともなのがKしかいなかった。サークルのやつらは日立だマツダだと景気のいい話をしていたのに。。

それはそうと、おまえら富士急いかね?戦慄迷宮で声が枯れるまで叫ぼうぜ。予定は4月の平日。


週末はvutterに会ってモゴモゴ。モゴモゴモゴ。がんばっていきんとなー。

 



おなかいたーい!

 

適当メモ

ドリーミーかつ箱庭的な脳みそを持って人生の生き方というものを分類すると、

  • システムに則る生き方
  • システムから離脱した生き方

という2種類に大別される。

システムとはつまり大きなものでは社会、社会によって形成される倫理・論理、もっと身近に言えば職場環境・家庭環境、空気嫁の類。それらの規則に則し、巧みに乗りこなし、スマートに生きる方法。

それらからの離脱、つまりは外部規則との関係を断った生き方。フリーランスや自由業。準じるのは内部規則のみであるから、持論と肉体の生理現象のみが個人を特定するIDとなる。究極的には無論貨幣制度をも否認するため、野に下るしか方法は無い。

芸術及び芸術家というものはアンチシステムを目指すものである。しかしながら社会システムを捨てるということは観客を失うということを意味する。芸術に観客は必要であるか否か?私は是と思うから、芸術というのは弱々しいものと思う。だからこそ美しく、それはつまり「人間の本質は"弱さ"」(byサンデーのデスノート2)に他ならない。

他人を必要としないという点にのみ留意するなら、学問と武道がもっともアンチシステム的生業と言える。山篭りの醍醐味と言えば仏道か博物学だと思う。哲学はまだ弱い。

しかしながら偉大なる学者や武芸者、芸術家の類は、必ず自らの行いを外部に表現してきた。それに対し真に偉大なる人間は、自らはただ行動しただけである。それを他者が観察し、解釈し、書き伝えてきた。キリスト・釈迦・ソクラテス(この段落ら辺は本の受け売り)。

みずからただ行動するということは、それはつまり自然(nature)であり、それを観察・解釈・伝達する周りの者が人間(科学者)である。

システムに沿うか逸れるか。どちらがより良く生きられるのか。

* * *

以下の話は本の聞きかじりにパブロフでかじりついた後、何の消化もなくゲロったものである。

近代自我が生み出したのは"不安"らしい。江戸時代の人間はほとんどが幸福であった。オランダかどっかの人が、長崎から江戸へ旅する途中の町々で感じたらしい。そこにはシステムが無かったとも言えるし、システムが完全にできあがっていたとも言える。

日本の成人の8割(適当)を縛るシステムはサラリーマンシステムである。働いたらお金がもらえる。直接育てたものを食べるでなく、直接何かを売るでなく、パソコンいじりながらニョロニョロしてると、そのニョロニョロがシステムの箱の中に入れられて、出てきた時にはお金になっているのである。

サラリーシステムはとても不思議。なんだか自分のよくわからないところで自分の中のフェイタルな何かが決められている。

けれど家に帰れば今度はシステム性は減る。独身一人住まいなんてのは気楽なもので、全ては自分の裁量次第である。それを自由と楽しむか。多くはそれこそが人間の楽しみであると感じる。

自分の置かれるシステムが頻繁に入れ替わるということは、システムの絶対性が薄れるということだ。つまりアンチシステムの自分、自然の自分を意識する自我が生まれる。

その自我から「自分はなんなのだ」「何が正しいのだ」「他人と自分は同じものなのか」といった不安が生まれる。

しかしながら江戸時代はシステムがすべてであった。まず生まれた時に既に自分の人生が決められていた。農民は農民でしかないし、他の農民と区別されるのは田畑の広さと子供の数くらいである。同様に商人は商材で分類される。

生まれた時からシステムとともに育つと、個人とシステムの境界は完全になくなる。田中さんは、田中さんであると完全に同時に農家の田中である。それ以外の田中さんはありえない。そして同じ農家であれば、人生の悩みの99%は共有できる。

近代人は違う。自分は自分であり、他の何者でもなく、自分という完全に独立した存在である。他人なんかと共有できるものは殆ど無く、そもそも他人の存在さえ疑わしく思えてくる。だったらシステムに存在を委ねた方が楽なのか。

* * *

資本主義はババ抜きゲームなんだろうか。ババを持ってない者は、どんどん参加者を増やして、自分がババを持つ確率を減らそうとしている?

この世の終わりに雨は降らない。雨は全てを洗い流して、また新しく始めようとするから。みんなそれを知っている。だからどのお話でも世界の終わりには火が降る。

寝てる間に誰かが僕のねじを巻こうと手を伸ばす。不思議なことにその手は誰の枕元にもやってきて、手のぬしはどうやら神様によく似ている。

20円で一人の命が救えるバイトをやっている。今回の給料は400円。20人殺した。阪神大震災の次の日、ニュースで推定死亡者数が増えていくのを楽しそうに見ていた僕を母は咎めなかった。

僕は僕のままで別の違う崇高で素晴らしい輝ける何かになりたいと

まず白くなりたい。質量の無い、広がりのある、全てをリセットする朝日のような。……新聞じゃなくてだな。

夜に溶け薄まった鶏が声を出せずに涎を垂らすそばで代わりに鳴くはずが吃ってしまった彼は体育座りで「ウッ、ウッ、ウッ、」

リセット⇔ゼロ

 

スパムばっかりやがな。

最近急に酷くなったんだが、スパムにかまったり、放置したりすると増えるのかしら?
それとも単にfc2が狙われているのだろうか。

わしのまわりははてなユーザーが多いけど、業界全体で見ると、実はシェアトップはfc2です。
参考サイト


ライブドアの利用者数が多いのは堀江門の功績だろうな。うちの会社でも、店舗ごとのニュースブログは全部ライブドアで、その理由は「ライブドアでしかブログができないと思っていた」だそうな。まだまだ一般の人にウェブの世界は知られていないみたい。

アメブロが人気なのはよくわからんのだが、恐らく芸能人ブログや動画サイトみたいなメディア戦略が巧かったんじゃないだろうか。運営会社のサイバーエージェントってかなりの大手ですし。

fc2はというと、数あるブログサービスの中でもっともクセがなく、カスタマイズが効くというのが人気の理由だと思う。はてなみたいな独自サービスもなく、ライブドアやエキサイトみたいな企業臭のするテンプレートもなく、HTML, CSSはフルカスタマイズ可能、バナーも小さく、アフィリ・アダルトの規制も緩いので、ブログというよりホームページ感覚だ。

だけどこうもスパムが酷いと日記を書く気がなくなるなあ。他のブログにインポートするという手もあるけど、たぶんコメントはインポートできないからな。


コメント凍結もありかしら。

* * *


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ありがとうございます。

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みなさんのお陰で生きています。



今日の夜食は松屋のビビン丼です。

 

随分長いこと日記を書いていない気がしてたけど、そんなでもないんだなあ。
「時間が経つのが早い=歳をとった証拠」
だとすれば、
「時間が経つのが意外と遅い=まだ若い」
ということだと思っていたんだが、
ただ忘れっぽくなっただけということに最近気付いた。
昨日のことが一週間くらい前に感じるのに対して、大学卒業がちょっと前とか。
記憶同士の距離関係が曖昧になってきている。

最終的に記憶は一地点にプールされてごちゃまぜになって、
そこから原初の生命が生まれて脳みそ醸されてボケるんだろう。

* * *


ちょうど前回の日記の次の日、ミヌキング氏と横浜美術館のゴス展に行ってきた。

"ゴス"と"ゴシック"は違う。けれども何がどう違うのかよくわからない。当然ゴシックが元になってゴスという文化が形成されたんだろうが、現代にゴシックは存在するのだろうか。ゴシックを模倣(プレイ)している時点でゴスはゴシックにはなりえない。

ではなくって、ゴスはそもそもゴシックとは違うものを目指しているのだろうか。
という疑問があるんだけど、ゴス展に行った割には何のヒントも思い浮かばない。


一番印象に残っているのは街頭のゴスっ子達のポートレートを100枚くらい並べた展示。
ファッション雑誌とかの街頭モデルみたいな感じのやつ。

一見個性的だが、個性の本質とも言える顔の形や体のラインは、過剰装飾によって隠蔽されている。同じ格好の者がいれば(まずいないけれども)たちまち没個性になり得る。

彼・彼女は外形を隠蔽したいのか、外形を作り変えることが最高の自由意志と主張するのか、表現こそが人間の主体と思っているのか、とにかく"人間(or自然)"からの逆行を試みている。それがゴシック的価値観なのだろうか。

そうした自らの在り方に対して主体的であろうとする姿勢は、確かに一般の人にはないだろう。一般の人が主体性を持つ場面は、もっと利己的な場面だと思う。

だからと言って彼・彼女らゴスピープルが優れているかというと、日々原宿で仕事をしている身としては「人それぞれ」だと思う。非ゴスの性質が多様なように、ゴスの性質も多様で、自己意志の棲む割合に大した差はないだろう。

だって今日が初めての出勤日なのに連絡もよこさずぶっちぎるんですよ奥さん。別の人は「お医者さんにとめられて……」とかモゴモゴ言いながら入って5日で辞めていった。

僕の周りが例外なのか、どこが例外なのかは知らないが、とにかく3万円の服を買う為に費やした労働時間は、別の人にとっては別の何かをしていた時間に交換されるのだ。そこで煙草を覚えた人や参考書を読んだ人やポエムを書いたような人が多様に生まれるわけである。


* * *


友人からラブ関係の話を聞いた。友人はなんかへんなのに好かれてしまったらしく、何がどうへんなのか聞いていたら、どうもおかしい、胸が痛い。

話を聞くにそのへんなのはどうやらオタ系の恋愛初心者らしく、なんかちょっと仲良くなったら勘違いしてしまったあげくに走り出したら止まらないタイプの人間だったらしい。やばい胸が痛すぐる……。

この手の人間と言うのは基本的に卑屈で消極的なくせに妙なとこでポジティブで、「○○かもしれない」というちょっとしたきっかけが「○○だったら(じゃなかったら)どうしよう」という不安に変わり、その負のエネルギーが「じゃあ××しよう!」という確信に変わってしまう。そしてその思い込みに関しては無駄に積極的だったりする。

例を出すと私の胸が痛むので控えたいんだが、要するに思い込みを理由に相手に関わろうとするのだ。相手の気持ちは考えてるようで全く考えてない。

しかし問題はこうした人達がこの状態から抜け出すには場数を踏まなきゃいけないということで、そこは「俺を踏み台に!」的な感じでステップアップして頂きたい。人の心配をしてる場合ではないだと?フン、何の為に人形を作っていると思っているのだね!

* * *


ゴス展のあと、楠さんSBTさんとオールナイトの映画を見た。セットリストは1.ヴァージンスーサイド、2.エコール、3.小さな悪の華。

エコールはとても美しいフランスの映画。森の中の不思議な寮(寄宿舎?)でどこからか連れてこられた少女達が共同生活をしている。
映像の表面や、光の色づかいがどことなく邦画っぽくて風情がある。しかしネットのレビューをみると、主に少女愛好家達に人気の作品のようで……。確かに真っ白なジャケットとスカートから伸びる白い足、そしてそれを映すカメラワークには偏執的なフェティッシュをひしひしと感じる。……ビアンカたん。


3本目の小さな悪の華は、オールナイトの表題作にもなっている、フランスでは発禁になった映画。概要は中二病ど真ん中の女の子二人が、サタン様と契約してみたり、男を誘惑してみたり、他人の飼ってる小鳥を殺してみたりと、性質の悪いイタズラを繰り広げる話。

なんだけどひょんなことから人を殺してしまい、警察の手が伸びてきたから「わたし達はずっと一緒よ」的なことを誓いあって、文化祭にステージ上で詩を朗読しながら油をかぶって焼身自殺するというそれなんて中二病?

と、見終わった直後は思っていたんだけど、よくよく考えてみると、彼女らは彼女達が馬鹿にしていた大人から一切の制裁も受けることなく見事逃げおおせたわけで、つまりこの映画を見て憤慨した僕をも嘲笑したとも言える。そこまで考えられていたとすれば、僕は作者の手のひらで踊ったことになる。

これは怒ったら負けの映画だろうか。共感できれば良いのだろうが、そうもいかない。そろそろ僕も中二病を卒業して高二病に差し掛かっている。だから余計、過去の自分を見て怒るのだ。


* * *


仕事でギフトショーなるものに行ってきた。各雑貨メーカーが小売・問屋専用に新商品を発表するショーだ。

場所はなんと東京ビッグサイト。

「食パン君はゆりかもめなんか乗らないでしょー」
とか上司が話しかけてくるんだが胸が痛い。

「わー変な形の建物っすねー」
とか必死に言ってしまう自分が我ながらつらい。

自分は全くもってオタクではないけれど、それでもここに来たことがあるとは言えないってのは、なんだかどっちつかずのコウモリのような気分だ。

で、ギフトショー。コミケと同じ会場とは思えないほどオシャレだった。
赤じゅうたんが敷いてあった。
ほっこり北欧系の展示スペースのおねえさんがきれいだった。
時代はまだまだ癒しっすよ。


* * *


草津。大学のサークルのOB数人でスキー&温泉に行ってきた。
人生初スキーだったので先輩や友人が根気よく丁寧に教えてくれたのだが、その先輩に最初に連れて行かれたコースが初級(初心ではない)~中級コースだったことが後から判明した。どうりでガケにネットが張ってないわけだ。

しかし転びまくって冷えた後の温泉は至高。今思い出しただけで若干気持ちよくなった。


温泉から上がって、約一年ぶりに体重を量ったら4kg減ってた。以前なら「おれさまスリム!」とか、「疲れてる自分カコイイ!」とか思うとこなんだが、これはちょっと真剣に怖くなった。

高校3年の頃から大学卒業まで、体重はずっと56~58kgあたりを推移してたのだ。しかも仕事始めてからは大学時代の1.5倍くらいは食べてるはず。これは怖い。
「僕は細く長く生きますので」とか言ってたけど、細くなりすぎてぷつっと切れる人生とか嫌ですよ。ただでさえ糖尿病まっしぐらなのに。


そんなわけで太る技術急募!「とりあえず肉だけ食え」とかは無しの方向で!お肌に優しいウェイティング術待ってます!

* * *


夜、UEZさんから電話があった。久しぶり過ぎてテンション上がったけど、
「食パンよ、本当に大事な人にはな、自分から会いに行かなきゃだめだぞ」と言われた。
ういっす。がんばるっす。

英雄はスイーツがお好き 

去る1月28日、auとソフトバンクで2008年春モデルの発表がありました。そりゃもうwktkしながら発表を待ってたんだが、どうもおかしい。auがいつもと違う。ちょっとその辺を妄想入り混じりながら書いていきたい。

キャリアとメーカーの逆転

普通、携帯端末の新機種発表と言ったら、各メーカーがその時々のトレンドに合わせて音楽やワンセグなどの機能の優劣を謳って全部入りのハイエンド機種(高機能、90xiシリーズとか)を作ったり、薄型やデザイン性を謳って普及用のロースペック機種(70xiとか)の発表をする。そしてそれを見て「ほー、このメーカーは今年はスライドとワンセグでいくのね。でもVGAでワンセグってどうなのよ」とか思いながらニヤニヤするのが主な楽しみ方だ。

もちろん、メーカーはキャリア(ドコモとかソフトバンクとか)の意向も汲んで、フラッグシップとしての役割を意識したり、他のキャリアとは毛色のことなるものを出したりして、キャリアごとに作り方を変えることもある。けれどやっぱり、新機種発表会というのは各メーカーの端末お披露目会という雰囲気が強かったように思う。

それが今回、auの発表は少し違った。公式ページを見ると、従来通り新機種がずらっと並ぶページ作りがなされているが、その横には大きく「auの庭で」とある。"ENTER"から入ったカタログページの冒頭でも、"auの庭"のコンセプトが表示される。そしてそのコンセプトを実現する形として、「スポーツタイプ」「スリムタイプ」など、各メーカーの機種が位置づけられている。これはメーカーとキャリアの主従が逆転しているように見える。

機能競争の先にあるもの

先のauの公式ページでも、端末の詳細なカテゴライズとしては、実はそれほど大きく変わったわけではない。音楽、動画、デザイン、薄型など、現在のトレンドを汲んだ端末が、カテゴリに分けられて並んでいるだけ―つまり今までどおり―のように見える。しかし、この春モデルでauは一つ実験をしている。それが「スポーツ」というカテゴリーを作ったことだ。

スポーツと携帯、あまり聞かない組み合わせではある。マルチメディア化を推し進める携帯業界の潮流から考えるとちょっぴり的外れな印象も受ける。しかしauはどうやらここにかなりの力を入れている。例えば「au Smart Sports Run&Walk」という、まあ他キャリアの人にはピンと来ないかも知れんがリスモみたいなアプリが新たに搭載された。このアプリは健康管理&エクササイズ計算等の機能を持っていて、曰く「自分磨きのためのライフスタイルサービス」らしい。だから何かって言うと、auは「物より思い出路線」に転換したんだと考えられる。

ここでITmediaからの引用。

日常のスポーツシーンを携帯でサポートするアプリやトレーニングの履歴管理、スポーツ情報の閲覧ができるEZwebサイト、PCサイト、スポーツ関連グッズなどを提供。ワイヤレスで音楽を聴きながら(Bluetooth対応機種の場合)、携帯のGPS機能とランニングやウォーキング時のコースや消費カロリーなどを確認できる内蔵アプリ「au Smart Sports 『Run&Walk』」を使って、気軽にワークアウトできる。

ここで言っているのは、今までメインとされてきた音楽・webなどの機能が、実生活をサポートするorより豊かにするために提供しますということである。ワンセグの画質やデータ通信の速度などを競っている現在の携帯シーンからしてみると、明らかに主従が逆転した提案だと思う。発表された新機種も、当然キャリアの威信をかけてハイエンド機は出すものの、全体的にはミドルエンドで、防水機能やイルミネーションデザインなど、どちらかと言うと生活デザインに重きを置いた端末が多いように思う。

棲み分けするキャリア

auがこうした「機能競争からの撤退」と思えるような路線に変更したのは、やむない事情があったりなかったりする。あまり詳しくないんだけど、auは数年前から「端末が安い」ことを販売戦略の一環として謳ってきた。そのせいでauは新規ゼロ円が異常に多かったのだ。だからそこに食いつくお客さんも、次から次へと機種変を繰り返す層が多くて、結果的に機種変更しづらい高価な機種というのを出しづらくなってしまったらしい。

そういう噂が嘘か誠か、とにかくauの端末はドコモやソフトバンクに比べて8~6割ほど安い。当然端末の機能も他社には太刀打ちできなくなってくるわけで、ハイスペックで家電好きなオタク達は嘆き悲しんだあげく、「スイーツケータイ」と罵っているわけだ。そんなわけで、auが機能競争から撤退した裏の理由として、きっとその辺もあるんだろうなと僕は勝手に思っている。

で、他社はどうかというと、auオタの僕から見てもやっぱり徐々に路線を変更して、他キャリアとの棲み分けを行っている印象だ。特にソフトバンクは徹底的に「オッサン・オタク・ギャル狙い」だと思う。

ソフトバンクに機種を提供しているメーカーは主にシャープと東芝とちょびっとパナソニック。個人的に嫌いなメーカーの2トップ+トップ下なので、多分あと5年は禿銀行には行かない。

シャープの機種と言えば、おなじみサイクロイドのAQUOSケータイで名高い液晶の美しさ。一昔前はカメラの性能がいいことでauのカシオと双璧を成してたけど、時代の流れで今は液晶。加えてマルチタスク機能やらなんやらもあって、一般に「ハズレの少ない高機能端末」という呼び声が高い。そしてほぼ間違いなくメタリックでエッジの効いたデザイン。この辺がオッサン&ギャル向けな気がする。もっと言うと面白みの無い日本的デザイン。うんこデザイン。

東芝は、別名「凍死場」と呼ばれる。厳密な理由は分からないけど、多分当たり外れが大きいからだと思う。東芝はauにも機種を提供しているので、一昔前に京セラが「凶セラ」と呼ばれていた頃は、両メーカーを抱えるauとしては中々つらいものがあった。

東芝はハイスペックである。かと思えば安価な普及機も出す。共通するのは「なんとなくイモくさい」点である。auではフラッグシップを取るほどに高機能端末を量産するし、REGZAなどというテレビブランドも持っている一方で、律儀にサザエさんのスポンサーだったりもする。東芝は読めない。謎過ぎる。しかしながらソフトバンクではこうだくみ(なぜか変換d)が広告塔を務めており、「なんとなくオシャレ」でギャル層をターゲットにしている。

そしてパナソニック。もうパナソニックは潰れろ。毎回毎回似たような機種出しやがって。もう3年くらいワンプッシュオープンしか聞いてないぞ。そんで薄型薄型って。サガミかお前は。そしてメタリック…。

そういう訳で、ソフトバンクはビジネスっぽいメタリック+高機能=オッサン、高機能+シャア専用携帯=オタク、こうだミク+薄型=ギャル、をそれぞれターゲットに据え、豊富な資金力で基本使用量の低価格化と、割賦による一時的な安価販売でメキメキと市場を広げている。今回の春モデルでは、PCライクなキーボード携帯や、株の扱いに特化した機種、ジュエリー的なものを発表していて、auが「ファッション」だとすると、ソフトバンクは「家電・アクセサリ」に近い感じ。

ドコモは今まで通りメーカー任せかなあ。広告費だけは異常にかけてるけど。旬の俳優・女優8人を起用とか、ほんと業界トップは違いますよ。仲間由紀江なんて多勢に無勢でフルボッコじゃねえか。ターゲット層は広く浅く、若干真面目。携帯なんてどうでもいいじゃん的な層を?

これからの携帯に求められるもの

身内びいきだと言われるかも知れんが、これからはauが始めたような個々人のライフスタイルを"主"とした"従"の携帯がメインになってくると思う。それはSFアニメなんかを見れば示されているし、何より多くの商品デザインというものは、商品の量→商品の質→持ち主の感性、というような重心の遷移を経るものだからだ。つまり、外食業界を例に取ると、初めは「より多い(または安い)食事を売りにし、次に高級食材などの「よりおいしく、品質の良い物」を売りに、最後にくつろぎやエンターテインメント性、個人に合わせたスタイルなど、「体験・体感・共有」へと目標をシフトさせて行く。(芸専の講義の受け売りです)

上のような商品戦略の遷移は、殆どの業界・市場で見られるし、今は最終項に差し掛かっているところだと思う。近年勃興した携帯業界が、既にパソコンよりも早く"質"の競争から抜け出そうとしているのはとても興味深い。この加速感はなかなか他では見られないと思う。

そんなことはどうでもいいからCASIOはもう元の姿には戻りませんか。1/1.8CCD積んだA5406CAや、G-SHOCK携帯W42CAを出してた頃の硬派なCASIOにはもう……。(だって春モデルで500万画素+防水ってまんま、高機能カメラ+G-shockだけど、外面もろスイーツじゃんかよ……。)