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 year2011month02 

 

文体診断ロゴーン
http://logoon.org/

というのを見つけたのでやってみた。
前回の日記を貼ってみる。
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1-中島敦 87.9
2-太宰治 84.1
3-菊池寛 82.7
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大学時代に書いた小説。
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1 小林多喜二 81.5
2 浅田次郎 78.5
3 松たか子 76.1
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時間が経てば、文体も変わるということで。
ちなみに、どんな文章を入れても、
「表現力」「個性」はAになるので参考にはならない。

文章の硬さはC~Eですた。

悲しいかな、こうした行為も、もはやマッチの微熱程度にしか感じない。
ツートントン ツートントン

暗い海でモールス信号を打つような気分だ。
WEBの海の藻屑になって、深いところで冷たくなって、
いつか未来の誰かの目に触れたりするんだろうか?

未来にいる僕は、過去の誰かの日記を読むかな?

2050年より後に誰か僕を見つけられたら、それはとてもうれしいことです。
……FC2があるかっていう問題?

まあ、現実的にはGoogle先生くらいだろうね。
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ーーー 

3ヶ月以上も放置してしまった。
とは言え、自分自身に何かがあったわけではない。
先輩が一人結婚して、祖父が一人死んだ。
僕はただ歳をとり、65歳までのカウントダウンが、
ようやく40年を切った。

今日は長い夢を見た。

* * *

祖父が死ぬ前の夢だ。
祖父の近くには叔父と叔母が住んでいるが、
叔父の会社が倒産することになり、
祖父が自殺して借金を帳消しにした。
僕はその頃、今の会社の長野支社(実際は無い)に出向していたので、
一人取り残された祖母と一緒に住むことを決めた。
一度地方に定住すると、もう東京には戻れない。
戻らなくても問題無いはずで、東京は嫌いなはずなのに、
変な不安がずっと胸の中に残った。

それだけの夢だった。

* * *

いつからか、「亡くなる」という言い回しが嫌いだった。
「死んだ」と言うのは直截的過ぎるから、曖昧に表現するのは分かる。
なんで嫌いなんだろう、と思って、
意思を感じないのが嫌なのかも知れないと思った。
もちろん、意思を持って死ぬ人はそれほどいない。
自殺を礼賛したいわけではないが、「生きる」と対になる言葉が
「死ぬ」であるなら、きちんと「死んだ」と言うことが、
ちゃんと「生きた」ことの記録になるのではないだろうか。

せっかく死んだのに。

* * *

僕が一つの肉塊になることは、
到底受け入れられることではない。
しかし今はその放物線を描いている。
もう一年以上開かれない、読みかけの本や、
たまに思い出して洗濯をする衣服。
全てが澱んで、澱の中で眠る。
一つのナルチシズム的な視点で見た時に、
僕にはもう羽根は生えていない。
惰性の泥の中から、たまに息をしに顔を出して、
月を見上げて自慰に耽る。

もちろん自虐もそうだ。

* * *

あと60年生きる。
きっと生きるだろう。
結婚にそれほど興味は無いが、
あと60年を生きるには、その契約は必要と思う(自分には)。
祖母とは叔父と叔母が一緒に住むそうだ。
広い家に一人は寂しいだろう。
僕も同居人のおかげで寂しさを感じずに済んでいる。
鬼束ちひろが昔、『生きて生きて生きて生きて――』と叫び続ける歌を歌っていた。
あれはいろんな意味があると思うが、
ただ現象だけを羅列した歌かも知れない。
ただ生きて、生きて、生きて、生きて、

60年後に死ぬ。