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酷い日記ばっかだな 

昨日、友人の家を訪ねた。

ここ最近はいつものように被害妄想と眠り癖で引きこもっていたのだが、
後先考えず骨にCDを注文してしまったのでサークルの二次会に行ったはいいものの、
テンションがあがらずにそのまま同じマンションに住む友人宅へ非難。


いつも一緒につるんでる友人間の関係性って、一様に見えて考えてみると案外多様だ。

ある友人Kは、言葉を与えてくれる。彼は文学、科学、哲学等において博識で、僕が普段とりとめもなく思っているようなことを彼に投げかけると、「それはこういうことだね?」と既存の体系の言葉で言語化して返してくる。それにまた僕が修正を加えて、ということを繰り返し、小さな思考の体系のようなものを作り上げる。言葉遊びに近い感覚。そうしてできたのが"おっぱいガイア論"なのだが、悩みも言語化してくれていつも感謝している。

ある友人Aは、女の子同士の関係に近い。一緒にいると、つい二人でキャピキャピしてしまう。UVケアしなきゃ、とか、mana様かっこいーよね、とか、真面目な話というよりは、感覚的なバカ話が多い。カエル形の鍋つかみを手にはめて会話したのは今思い出しても酷い。異性への接し方というのは今でも身構えることが多いけれど、彼女に対しては、良くも悪くもぞんざいに扱える。

そして今回訪ねた友人M。彼との関係については、明確な形が見えない。
話した内容は、ブラウザの改造についてだとか、遠い知人のブログ批評だとか、僕の悩み相談だとかだったけれど、印象に残ったのはそういうことではなく、「ただ一緒にいた」ということなのだ。

彼とは趣味が合うわけではないし、感覚が近いわけでもないと思う。もちろん、一緒にバカやったり、勇気付けられたりすることは多々あるが、時々「なんでこいつは僕のことをこんなに好いてくれてるのかしら?」と思うほどだ。それでもなぜか一緒にいて、それが楽しいと感じる。これはもう恋かしら?と勘繰りたくなるほどである。その友人はこんなことを言っていた(半分ノロケ)。確かに、面映い言葉ではあるけれど、「愛」という言葉を使うものなのかも知れない。

彼との関係性に言葉を与えられないのは、決め付けたくないからかも知れない。僕は言葉を過信してしまうから、言葉を与えると頭が洗脳されてしまうのだ。


僕はあまり人を信じられない方だ。それは猜疑心ではなく、恐怖心から来るものである。
僕は今まで「何かをした」と言えるようなことをしたことがない。団体のリーダーを務め上げるだとか、作品を完成させるだとか、客観的に人に自慢できるものが無い。だから自分に自信が無くて、「こんな自分が好かれる筈が無い」と思い、他人の好意を信じることができない(そしてすぐに他者に肯定を求める。「そんなことないよ」を期待して自分を卑下する)。

だから嫌われるのが怖くて相手に対して何もできなくなる。先の友人3人に対しても、初めはそうだった。けれどなぜだか解らないが、彼らは好きでいてくれ続けたし、それを伝え続けてくれたのである。だから今は、彼らの前では普通でいられる。

自分がとても甘えた人間だということは解っている。自分から人を信じずに、信じていてくれる人だけを好きになれば、傷つかないで済む。


けれど、向こうから積極的に関係を深めようとしない人の中にも、素適な人はいる。
そういう人に自分から関係をつくれるよう、僕は自分を信じなきゃいけないし、そのためには行動しなければならないと、今は考えている。

そして最大の悩みはまったくやる気が出ないことである( ´Д`)≡3
卒業、就職、できなくてもなんとでもなる気がしてきた。
とりあえずケーキ屋のバイトを検討中。

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