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distel 

あおのから回ってきたジブリバトン


ナルシシズムについて調べていくうちに見かけた婉曲的な優しさについて。

>ひとりの少女は「私たちのやさしさってのはねえ」と前置きをして、次のように話しました。

>「―中略―そしたら次の次(の駅)ぐらいの時、オジイさんが私の前に立ってェ、私、立ったげようかなって思ったけど、最近の年寄りって元気な人、多いじゃないですか。―中略―このオジイさんも年寄り扱いしたら気を悪くするかなあ、なんて考えてたらァ、立つのやめた方がいいかなんて考えてェ、寝たふりをしちゃったの」

>若者の奇妙なやさしさには、「相手の自己像を傷つけてはいけない」という暗黙のルールがあるのです。
>相手を年寄り扱いして、相手の自己像(=自己愛)を傷つけない方が、満員の電車の中で、席を譲ってあげるよりも、やさしいことになるのです。このような若者の感性を理解するためには、ナルシシズムという概念は、非常に役立つものではないでしょうか。

(『やさしさの精神病理』大平健、若者の心の闇とナルシシズムより)


僕や僕の周りの何人か、そしてネット上の引きこもりたちを見る限り、自信の無さが逆に自意識の過剰を生み、周りから見れば拘らなくても好いと思えるようなことにでも過敏に反応し、自己像が傷つかないよう死守するような人がたくさんいるように思える。これは一種のナルシシズムだ。

ナルシシズムとは、本来(身体的な)倒錯的自己愛を指すが、一般的には自意識過剰で厚顔無恥な自信家を指すことが多い。

先に挙げた、ネガティブナルシシズムとでも呼べるような感性を持つ人は、自分が傷つかないことを第一に考え、だからこそ相手を傷つけない=相手の自己像を傷つけないように、という思考回路の元、婉曲的な優しさを持つようになる。傷つけるとは、相手に嫌な顔をされることであり、相手に嫌な顔をされると自分が傷つくからだ。

それは、綺麗な言葉で言えば「相手を思い遣る」と換言できる。悪く言えばイメージの押し付け。

また、空気を読むとか、相手の事情に深入りしないとか、巷で言われる若者達の一見スマートとも思える会話術は、そうした思い遣りが背景としてある。

そうした婉曲的な優しさは、周囲との認識にずれを生じながらも、他人と深く関わっていかなければ露見しないものであり、浅い付き合いに終始するか、自己完結できれば問題は無い。アキバ系オタクの中のニュータイプと呼ばれるような人達はそうなのかも知れない。

ただそう簡単にはいかないから問題があるわけで、その点については外敵価値と内的価値が云々という話が関わってくる(多分)と思うのでまた明日。
今日のナルシシズムに関してもきちんとまとめたいのだが、いい資料が無いんだよなあ。あと乱文の修正も。

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